芸に遊ぶ

                                 蚯蚓の呟[みみずのつぶやき]

                               ー対馬の窯より

                                      小林東五  著

 

 

 

  よく小林さんの本業はなんですかと聞かれて答えに窮するんですが、率直に小林東五という人間

 をやっていますというのが最も的確な答えになると思います。でもそれではなかなか納得して下さ

 らないものですから、どちらかと言えば皆様がよく知って下さっている、焼きものをやる小林東五

 だと便宜上名のっているわけです。

  書をかき、漢詩を作り、篆刻(てんこく)もし、焼きものをやるということで、何々家とその一つに

 レッテルを貼って整理したいというその気持ちもよく分かるのですが、そういう風に分業化するの

 は近代的な物の処理の仕方ですよね。私は人の道としてそういう狭い意味での生き方は採りたくな

 いと思っているのです。曽ての東洋にもそういった分け方はなかったのです。

  たとえば、中国の宋の時代の蘇東坡(そとうば)は、詩を作り、絵を描かれ、書をかかれ、良き政治

 家であり、良き音楽家であり、立派な宗教家であったように、そういうもの全てを一身に体現した

 時に初めて、蘇東坡の人間像が浮かび上がってくるわけです。ですからその中の一つ一つを取り出

 して、蘇東坡を書家だ、詩人だ、というのは、一人の人物を眺める場合、変則的な見方になってし

 まうわけです。

 

 
   

  思わず前書きが長くなりましたが、私と焼きものとのかかわり方についてお話しいたします。

  焼きものというのは、私がたずさわった対象としては最も新しいもので、中国詩学といった妙

 なものに興味を持ったのが発端なんです。詩・書・画を能くすることで少しは世に知られていた

 父(雲道人小林全鼎うんどうにん こばやしぜんてい )が、もの言わず黙々とやっている姿に、私の敬意

 の念のようなものが自ずから誘ってくれのがこの漢詩の世界で、そういう意味では幼い頃からの

 父の薫陶、影響といっていいと思います。

  で、この漢詩を勉強することは、詩・書・画を一体となった芸域にわたるわけで、書を勉強し

 篆刻をやり、絵を描きということが必然的たらざるを得なかったのです。そうこうするうちに

 友人の窯を借りて陶印もやってましたので、段々と土に親しみを感ずるようになって焼きものを

 始めたくなったのです。

  元来が人に教えてあげたというのは大好きなのですが、人からものを習うことが嫌いで、あい

 つには俺が教えてやったんだと言われるのがいやなんですね。ですから焼きものの場合もお師匠

 さんなしで、一人でさっさと韓国に出かけたんです。曽ての素晴らしい李朝の焼きものを生み出

 した風土、山、川そしてそこにある陶土をお師匠さんにして勉強しました。幸い、山や川は恩を

 きせませんからとてもやりやすかったですね。

  こういう風なことも、私の中ではあくまで計画的な行動ではなく、自然的にそうなってしまっ

 たわけです。刷毛目の仕事にしましても、それが目的で始めたわけではなく、書というものを通

 して自然的に誘われていったんじゃないかと思うんです。

 
   

  そのあたりのことはちょっとご理解いただきにくいと思いますが、私の生き方にかかわってく

 るのです。

  子供の頃から物事に狙い定めて的を射てもまともに的に当たったためしがなかったのです。

 的というのは渦巻きになってまして、一番の心というのは本当にミクロの世界なんですね。

 当たるといっても千差万別で、本当に中心点を突くことが出来たのかというと、今の数字では表

 しきれない極小点にまで究極されてゆくわけですね。そうすると、そんなことやってたってだめ

 だ、当たりっこないと。そこで、一生懸命に弓なら弓をひくだけひいて、放した矢が当たったと

 ころが的だと、私はこういう風な的に考え方をおきかえたわけです。これは千発千中、当たりが

 あって絶対はずれはありません。

  最初からあの的をとめざしたものではなく、とにかく一生懸命に弓をひいて一生懸命に飛んで

 ゆく、そこで当たるものもあれば失速して落ちるものもある。しかし落ちたところも的、当たっ

 たところも的なんです。ですから速度に関係ないんです。キリキリと弓ひきしぼって矢を放つま

 での過程が、私が生きたという証で、矢が落ちたところが結果ということになるのです。

  一生懸命にキリキリとひきしぼるというと、ひどく努力的に聞こえますが、そうじゃないんで

 す。水車に水が盈ちると自ずからコトンと歯車が回るように、自然に盈ちてくるものを待つといっ

 た感じです。そうして放たれた矢の結果が、今の私の書であり、詩であり、篆刻であり、焼きもの

 なんです。これらすべてが私の自然的に表れた的なんです。

 

 
   

  ただ、こうした生き方は放恣と紙一重で自分をだめにしかねない。

  そのためのよりどころが私にとって漢詩です。

  漢詩には平仄(ひょうそく)や韻といったがんじがらめの約束事があって、それを度外視したら

 全く詩にならない。まさに、鉄の檻に入ったようなもので、その中で自由に遊びまわるわけです。

 「死地に活路を求める」という言葉がありますが、漢詩は私が人間としての道を求めるための

 大切な道具と言えますね。

  こうしたがんじがらめの漢詩の世界に身を置いて、そこからポッと陶芸の世界に身を移すと、

 そこには一陣の清風が吹き渡っているように感じられるのは、同じ自然的な的であっても、何か

 ホッとするものがあるのでしょうか。

  私などはとてもそんな境涯に至っておりませんが、芸に遊ぶという表現があります。鉄の檻の

 存在を忘れて、仏の世界に遊び、魔の世界に遊ぶという、遊びの世界に立ちたいものです。本当の

 意味において、ものを作るときに遊べる、遊んでいることが即ものになるという世界、そういう

 世界をめざしたいものです。           

                                            『なごみ』1990年11月