徒 然 に..

 

   
   小林 東五 講演

        井戸茶碗についての考証

                              「蚯蚓の呟き」より抜粋 

   その2

     

    そういう風に考えて来ますと何だか謎が解けたようです。要するに轆轤挽きの直

  後に最終的な形が決まっているのです。ですから乾燥過程でどんな縮まり方をした   

   にせよ完全に乾燥した時は総体的に縮んではいますが当初のバランスだけは保たれ

  ているわけです。「有楽」とか「細川」といった大井戸茶碗は高台脇の厚みも理想

  的で申し分ありませんが、喜左衛門井戸茶碗に於ては少し脇が薄いと思います。

  しかしそうした要素もあいまって喜左衛門井戸独特の妖しくもおかしがたい風格を

  形作っているように思います。

  

    

    これは井戸に限ったことではございませんが、李朝陶工たちは非常に合理的な

  仕事ぶりで、原料が無尽蔵の土だという事もあって、全てを無造作に進めます。

  日本の場合は素焼きをしますが、彼らは「作る」「乾燥」そして「施釉」「焼成」

  と実にテキパキと進めて行ったようです。粉引(こひき)の場合は半乾燥の時に白

  土をズブ掛けしまして乾いたら施釉をして焼成するのです。そうすると釉が生掛け

  なので、小さな気泡が出来て使用するとそこからお茶とか食物が沁み込んで粉引

  特有の雨漏りのような景色が生まれてくるわけです。

    

    

   ところで、ちょっと話が飛びますが、なぜ粉引が朝鮮半島に生まれたかといい

  ますと、これは中国の磁州窯の影響だと考えたいのですが、白は李朝人たちのシン

  ボルカラーだったのです。儒教から来ているのだと思いますが、儒教では仏教の

  「無」に当たる表現を「虚」とか「白」としているようです。道教では「玄」に

  なっておりますが同じく各自の深奥の境地を示したものでしょう。    

 

   

    李氏朝鮮王朝は高麗の次の王朝で、李朝を建国した李成桂という人は高麗の臣下

  だったのですが中国から援兵を申し込まれた時その大軍を率いて出発したのです

  が、途中で李成桂は「まてよ、これだけの軍隊があったら高麗は戴けるのじゃない

  か」と考えてUターンして帰って来たのです。そして高麗を滅ぼして李氏朝鮮王朝を

  建国したのですが、なぜか李成桂は国教を儒教に改めたのです。これは「親に孝行、

  君に忠」の教えでした。自分の主人を裏切った人が「君に忠」とはおかしい話です

  が、こういう矛盾は歴史の中には沢山あることなのです。     

 

    

   そうして祟儒の時代を迎えたのですが、その頃の王族は白磁を主体に用いていまし

  た。前朝は青磁を使っていました。青から白の時代になったのです。その頃の民衆は

  王族や両班(ヤンバン)が使っているような綺麗な白い器が使いたかったのですが、当

  時は身分の差が極端で厳しい制度が生活の各項に設けられていました。例えば身分の

  低い人たちの屋根は藁葺きで簷(のき)が垂れ下がったようになっていました。上に反

  っている屋根は偉い人たちの住いなのです。身分の低い人はおおっぴらに空を見ては

  いけなかったのです。そうした当時でも民衆の願いとして白い器で食事がしたいとい

  う願望が化粧掛けを生み出したのです。しかし、白い器は出来たものの、使っていく

  うちに変化してゆく粉引等は彼等にとってはあまり好ましい食器ではなかったかと想

  像されます。ところが日本の茶人が「ああ、これは素晴らしい景色だ。」と言って感

  激したのです。価値観とはそういうもので「なんでこんなものを喜ぶのだろうか」と

  視ていた時代が長かったのではないかと思います。      

 

    

    価値観というと色々ありまして、例えばアメリカで白人たちが眼の色を変えてゴール

  ドを探し回っていた当時、インディアンは「こんなグニャグニャした金属なんか要らな

  い。それよりも貝が欲しい」といった時代もあったようです。コンゴのダイアモンドも

  例外ではなかったと聞きます。ですから産地というのは案外その価値の評価が出来ない

  ものかと思います。       

 

    

    お話がだんだん進んでまいりましたが、私どもの大先輩であられる今は亡き加藤唐九郎

  先生も、曽てお目にかかった時に仰っておられましたが、焼きものつくりは「錬金術」な

  のです。要するに道教的なのです。ですから無から有を生み出す道(タオ)の世界、つまり

  活殺手裡にある遊戯界なのです。

 

     

    私が初めに手がけた鶏龍山系統の陶をよく見てください。胎土はですね、白い刷毛目が掛か

  っていなかったら、猫でも食欲が無くなるような色をしています。ところがそれに純白の刷毛

  目が刷かれると、春の野原を思う存分に駆ける白馬のような爽快さが生まれるのです。これは

  明らかに昇華の世界でありましょう。そう考えた時、一体良い土、悪い土とは何を指して言う

  のでしょうか。     

 

   

    尾形乾山が「焼きものにならない土は日本全国に一つもない」と仰ったそうです。あの頃はま

  だ世界という概念が薄い時代でした。恐らく今だったら、乾山は「世界で焼きものにならない土

  は無い」と言っただろうと思います。私は蓋(けだし)名言だと思います。ということは、乾山は

  「俺はどんな土でも使うぞ」と威張ったのではないのです。その処の土を活かして使うというこ

  とを言っているのだと思います。その土地で必然的に自分に与えられた土を当り前に駆使するこ

  とがやはり焼きものの原点ではないかと考えております。丁度生まれてからお母さんの顔を初め

  て見るようなものですね。こんなお母さんに生んでもらうのだったら前もって電話でもしてくれ

  たら良かったのにと文句を言うのと同じで、それは手遅れというものでありまして、やはり私は

  与えられた原土を活かして使うという受身の謙虚さが、ものを作る人の姿勢であるべきだと思っ

  ています。    

 

    

    まだ多少お時間がございます。私の話は続ければ何十時間でも限りがありませんのでこの辺で

  おきまして、何か私でお答えの出来ることで「お前これはどう思うか」というようなご質問がご

  ざいましたら何なりと聞いていただけませんでしょうか。私の知っていることはご説明致します

  し、知らないことはそのように申し上げますので、どうかお聞き下さい。      

 

 

              

 

 

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