茶碗 「勝虫」



                                      小林 東五








茶碗 『勝虫』   径 15.0cm  高 8.0cm  






どうせ一生かかっても快心作などは得られそうにもない私

にも、ひとつだけ自作として未だに手離すことの出来ない

茶碗がある。

一見「これは何だ」と首を傾げるような奇妙な粉引茶碗だが、

私にとっては掛け替えのない一碗なのだ。この茶碗に『勝虫』

と自ら銘して、姉に仕覆を縫ってもらい、二重箱に納めて現在

も大切にしている。


今を去る二十余年前、足掛け八年間を往復した韓国聞慶の

観音里で当所(あてど)もない粉青陶の試作を繰り返して、

その資金も尽き果てて、大切な硯や刀まで売りとばして更に

性懲りもなく続けていた頃のことfだ。

観音里の小径を隔てて、雨期だけ流れを見せる石渓があり、

そこが窯出しした大半の試作品の投棄場所となっていた。

ある日のこと、里の手伝いのおじさんたちが「もうヤメた」と

怒っている、と窯主の金さんが知らせに来た。薪を割り、土を

運び、賃金はその都度もらっているが、作ったものをあらかた

目の前で処分されたのでは何とも情けない。あのイルボン

サラムは頭が変なのではないかと言っているらしい。

私は彼等の言い分を聞いて大いに反省をすると同時に、この

他国の深山窮谷において、軽薄ならざる真実の人の情を

知った。

以後はおじさんたちに頼んで捨てていた作業を私がやるように

なったのだが、知られないように捨てるのは一苦労したもの

だ。


             
             
やがて、対馬に窯を設けてからは思うように観音里を訪れることもなく、それでも松籟(しょうらい)ひびくあの

羊腸の山道を何回か攀(よ)づることがあった。

そんな時期、ふと思い起こして、あれほど捨てた陶たちの供養の意もあって草棘を掻き分けて石渓に下りてみた。

すでに大半の陶たちは年々の出水で流れ去ってしまったのだろうが、それでも当時のものと確認出来る陶片を

一つ一つ拾い上げては懐旧の念を深めた。

『勝虫』は、この石渓の岸辺の窪みの中で偶然見つけたもので、重ね焼きした下段の茶碗の上部を胴の中央に

一文字に太く残して、その他は一点の瑕すら無いのも不思議なことだ。

私はこの茶碗を掌に拾い上げて感動のあまり頬を寄せた。

お前は、風霜二十年、この過酷な環境の中で耐え抜いて、幾多の試練に打ち勝ち、私の来るのを待ってくれて

いたのだ。



今はこの『勝虫』で茶を喫する度に、往昔の辛苦の数々を并せ懐い無限の感慨に浸るのである。

ちなみに、勝虫とはトンボの別称で、武具などの装飾に多く見られる。勝利の栄を武人たちは祈ったのであろうか。




 
                             蚯蚓の呟(みみずのつぶやき) より